アバター・タイムズ

意識の探究 
第17号

 

アバターコースは心の罠から逃れることに他なりませんが、あなたはあまりにも長いことこの罠にはまってきたので、自由がどんな感じがするものかを忘れてしまっていたのです。

自分の力を見つける 

ハリー・パルマー

photo of Harry Palmer現実を分類するために、誰かが客観的と主観的という概念を思いつきました。客観的とは自分の心の外にある現実のことをいい、主観的とは自分の心の中にある現実をいいます。例えば、部屋の真ん中にある椅子はあなたの心の外にあり、従って客観的現実として分類されるものと考えられます。あなたはその椅子に対する様々な気持ちを持ち、それが美しいと思います。「美しい」という考えはあなたの心の中にあり、それは主観的現実と考えられます。

ここまでは全く問題ありませんね?

客観的と主観的はそこに含まれる項目が交差し始めるまでは論理的に見えます。例えば、他の皆も部屋の真ん中にある椅子を美しいと思ったとします。その椅子は美術館に置かれ、その美しい椅子を見にやってきた何千人もの美術評論家たちから賞賛されます。「美しい」という主観的考えは、同意によって、客観的現実の性質を帯びます。椅子と美しいという考えの両方が、今やあなたの心の外にあります。

まぁ、これも別に大騒ぎする程のことでもないでしょうが、その創造の流れに気づいて下さい。それは主観的な考えから始まり、同意を得て、 最後には客観的な性質に至りました。これを考えてみると、それはアバターの原理「意図的に生きる時、信念が経験を創りだす」の論拠が一つ増えたことがわかります。

美しさとは常に主観的なものでしょうか?イエスという人もいるでしょう。ではさらに基本的なところに行きましょう。部屋の真ん中に「何か」があります。その何かはあなたの心の外にある客観的現実です。他の人たちも部屋の真ん中に何かがあることに同意するでしょう。彼らもそれを見ることができます。あなたはその部屋の真ん中にあるものを「椅子」と呼ぶことに決めます。

「椅子」という考えはあなたの心の中にあります。それは主観的現実です。人によっては部屋の真ん中にあるものに別の名札を付けるかもしれません。「ああ、あれね。あれは<座るもの>だ」 

image of tug-of-war部屋の真ん中にあるものをどう名札付けするかについて意見の相違がある限り、その名札が主観的なものであることに疑問の余地はありません。一方にはそのものを<座るもの>と呼んでいるグループがいて、もう一方にはそのものを<椅子>と呼んでいるグループがあります。誰でも自分なりの視点を持つ権利があります。私たちはそれでよしとすべきところですが、そこで誰かが最も危険な問いかけをします。「誰が正しいのだろう?」image of belief sign

正しさは「美しさ」と似ています:それは常に主観的なものです、違いますか?誰もが同意するわけではありません。座るもの陣営では、「座るもの」が正しいのです。椅子の陣営では、「椅子」が正しいのです。

今度は部屋の真ん中にあるものについて議論する代わりに、あなたの宗教的確信について議論しているとします。あなたの宗教的確信とは主観的なものだと誰かに指摘されたとしたら、うれしいと思うでしょうか? それは何につかがるでしょうか?それは人が自分の主観的意見を擁護することにつながるのです。

photo of chess pieces椅子陣営は座るもの陣営を攻撃して、皆殺しにしてしまいます。それは聖戦です。座るもの陣営の最後の一人が殺されて息を引き取るとき、部屋の真ん中にあるあれは全会一致で、客観的な同意として、椅子となります。これがわかりますか?photo of chess pieces 2

これは十字軍について何らかのヒントになりますか?

人が主観的意見を客観的現実に変えようと無益な努力をすることで、どれだけの血が流れ無秩序が引き起こされたことでしょう?どれだけの人が他人を説得することで自分の信仰を守っているのでしょう? 「互いに干渉せずに生きる」という哲学には特定の気楽さがありますが、これは深刻な問題、あるいは私たちが深刻にすると決めた問題にも常に当てはまるとは限りません。

言葉や名札よりもさらに基本的なところまで行きたければ、知覚や印象、感覚/感じを扱うことになるでしょう。皆さん私に最後までついてきて下さい、なぜならこの話を精神的な推測の域の外まで持っていくからです。まわりを見回して何でも目に入るものを見て下さい。 そしてあらゆるものから言葉の名札を外して下さい。

image of viewpointsあなたにはできます。あらゆるものから言葉の名札を外して下さい。

 (部屋がとても静かになる)

これは純粋な形の領域です。これを究極の客観性と考える人もいます。しかし私がまだ「考える」という言葉を使っていることに気づいて下さい。考える人もいるのです・・・

考えるというのは主観的なプロセスです。ですからこの純粋な形の領域でさえもわずかに主観的なのです。これから言うことに驚く人もいるかもしれません:純粋な形の領域から排除することのできないこのわずかに主観的なものがあなたなのです。
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あなたは主観的ですか?「私」は主観的ですか?さて、あなたはあなたという物体ではないですよね?そしてあなたは皆が同意する一つの特質でもありません。

さらに一歩進んで、この「あなたという私」を掘り下げてみましょう。

あらゆる言葉の名札を、まわりを見回しているあなたというものから外してください。あなたの自己というものに対して持っている、あらゆる考えや限定を手放してください。

物質の核にあるのは、あなたは主観的と客観的という二分法を超えているということです。精神的な形の気づきがあり、それは気づきによって形づくられています。

image of formlessさらに遠くまで行くことは可能でしょうか?

あなたが消し去ろうとしているのは、気づきが心の中にあって、何か他のものが心の外にあるという錯覚です。そのあなたの心の外にある「客観的現実」はあなたからは独立して存在しているように見えます。しかしそれを独立させているのはあなたなのです。何が客観的かはあなたが主観的に決めているのです。

形と概念を分けることを止め、全ての限定や縁を投げ捨てると、全ては分化されていない1つの全体です。主観的な「私」と客観的な「それ」を投げ捨てると、自己を限定することを待つ潜在的な単一性があるだけです 。

聖書にこう書かれています:「初めにことばがあった。ことばは神と共にあった。ことばは神であった」

今私たちはアバターの誕生についての話をしています。

私がこれまであなたがどのようにして心の罠にかかったかについてお話してきました。それはこうして始まります:自分とは、外にあって自分にはコントロールできない独立した客観的現実の結果なのだとあなたが結論づけます。 「一切の希望を捨てよ、汝等ここに入る者」

image of trappedあなたは世界が意識から生じるのではなく、意識が世界から生じるのだと思います。あるいは別の言葉を使えば、あなたは自分の主観的なものが客観的なものから生じたと信じています。これを信じる日にあなたは罠にかかります。源の存在よ、さようなら。あなたの創造の流れが誤った方向に行っているのです。それがあなたに向かって流れ込んで来ています。

その罠は、信念が経験によってもたらされるのだとあなたに思い込ませようとします。 あなたは自分の信念の原因を、世の中に求めるようになります。今やあなたは罠にかかっています。

あなたは心理療法を受けて過去を探ります。宗教に入って罪や反社会的な影響を探します。探求者に従って、過去生や、出生前の経験や、親による虐待を探します。これらのアプローチによって得られるのは、闘うのをやめてその罠に身を委ねることの安らぎだけです。

あなたはほんのわずかな無力さのために全体を犠牲にしたのです。あなたは自分自身の決断する力を放棄したのです。

image of open windowうれしいことに、あなたが自分の現実をどう経験するかの責任は、世界にあるのでも、過去にあるのでも、あなたの両親にあるのでもないのです。あなたの運命は客観的現実の影響によって形づくられるものでは一切ないのです。あなたの運命は、知覚した影響にあなたがどのような解釈を加えるかによって形づくられます。あなた以外の何ものでもないんです!!罠の中にとどまるか、目覚めて全てを手に入れるかです。

アバターコースは意識を通り抜けて主観的と客観的両方の現実を形づくる力を見つけるための魔法の乗り物です。さあ乗ってください。


 

cover of Living Deliberatelyアバターコースの話

上記の記事は 私の著書「リビング・デリバレイトリー:アバターの発見と開発」の13章「大いなる分離」の背景についての私の話から引用したものです。英語版の無料の電子版「リビング・デリバレイトリー」のダウンロードは こちらから。 (英語のみです)


photo of Avatar students

並外れた瞬間

まずこの教材を私に提供してくださったことに感謝します。私は人生の大半、自分のふりをすることで悪戦苦闘してきました。自分の源からあまりにも隔絶されていたので、自分が誰なのかも、自分が自分で無い時もわかりませんでした。練習を通して私は問題が何なのかをはっきりと経験し、そしてさらに良いことに、練習が解決を提供してくれたのです。これは大半のセラピーよりも大きな成果です。私はマスターコースに参加するというプライマリーを創りました。他人が前向きに自分の人生をコントロールする力を再び手にし、もっと幸せになり、世界全体に配慮するようになるのを手伝うことで、この愛しい地球がもっと覚醒することに貢献したい気持ちで一杯です。どうもありがとう。 –L. v/d L.


私は個人的な勢いの感覚と創造する自由を見いだしましたが、それはまるでフジツボみたいなセカンダリーの数々に覆われていました。私は地球の環境社会的健全さを創りだす助けをしたり、現行の知識経済から新たなる知恵の経済へと進化させることにとても野心的です。アバターは私が見つけた中で、意識の機能の仕方を扱う最初のコースです。 –A.W.


親愛なるハリー

今日はメルボルンのアバターコースの10日目ですが、あなたの道具が生み出している多くの奇跡を目の当たりにしています。

バーバラがたった今アバターになったことをアナウンスされ、人生と家族を愛する幸せな女性として家路につくところです。

私の娘のアリソンも一緒にAIをしている仲間ですが、こんなに力になるようなやり方でお互いの家族のケアをし合えて本当に嬉しいです。 アリソンもたった10日間で大変貌をとげた新しいママと一緒に帰れることで光り輝き、夫や家族や子供に新たな愛を創りだし、息子を亡くして以来ずっと抱えて生きてきた罪悪感や怒りから自由になったのでした。私たちはこの素晴らしいチームの真の奇跡に参加することができて、本当に幸運です。 – S.Z.

親愛なるハリー、

これがあなたに直接届くという話を聞きました。それは素晴らしいと思いますが、ここでどれだけ多くの人たちが「素晴らしい」という言葉を使うかを言っておくべきだと思います。

それはともかく、私は16才でオーストラリアに住んでいます。3月1日〜9日にメルボルンで開催されているアバターコースに来ています。あなたは素晴らしいお仕事をされましたね!真面目な話、私はここに来るまではとっても疑っていました。これまで私はすでに母から3人のカウンセラーのところに送り込まれていて、もうあきらめかけていました。母がまず最初にこのコースを受けたのですが、母はものすごく良い方向に変わりました。私は素晴らしい気分です。私は数時間飛行機に乗るのですが、帰るのがうれしいです。それはこの経験が嫌だったからではなく、私が自分の中に変化を感じることができるからです。私はもう過去に支配されていません。成長に向かってワクワクしています。帰りたいという感覚は思い出すこともほとんどありません。 とても沢山の人たちに感謝したいのですが、その中心はただ2人の人たちです!1人目は、あなたです。あなたの信条と信念のおかげです。気づき経験することを可能にして、あなたは本当にたくさんの人たちを変えました。そして 2人目は、私自身です。最高です。今や私は源です、力です!全てです!それを私のためにしているのは私です。あなたは誇りに思うべきで、それは素晴らしくて (またこの言葉ですね)、そしてとってもかっこいい! –S.B.


親愛なるハリー

5ヶ月前、私は故郷のユタ州パークシティーを後にしましたが、それはアルコール依存症から立ち直ろうとしている私の元夫と彼の新しい妻である私の友人が暮らす同じ町に住みたくなかったからです。私はそれから逃れるために、ハワイに移住しました。今晩夕暮れの中で行った「和解のために歩く」の練習の後で、彼らの近くに暮らし、彼らに会い、2人に対してただ愛と慈しみだけを感じることができるとわかりました。ありがとう、ハリー。これは驚くべきことです。これらのコースは信じられないぐらい素晴らしいものです。 –C.H.



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そろそろ時期では
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アバターでは皆が勝利をおさめます。アバターになる一人一人が集合意識をより大きな寛容さと理解の方向へとシフトさせます。アバターで自分を助けることが、同時に皆を助けることになるのです。 – ハリー・パルマー

 

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